| 1990年 |
当時インドア・バレーボールで全日本のキャプテンを務めていた川合俊一が引退し日体大の後輩・瀬戸山正二を引き連れて渡米、プロビーチバレーボーラーに転向。コーチにアトランタ五輪金メダリストのカーチ・キライ、ケント・ステフェス組のコーチでもあるマーク・バーバーに依頼。
この年のマンハッタンビーチで行われたAVPのトーナメントに日本人としては初めて出場する。
* 川合のパートナーはアンドリュー・スミス 瀬戸山はパット・パワーズ |
| 1991年 |
帰国後、当時は常設のコートが無いために練習場所を確保しなければならなかった。静岡県の白浜海岸や横浜の八景島の人口ビーチなどで仮設のコートを立てて練習を行う。 |
| 1992年 |
ビーチバレーを日本に普及させるためにPVC(ポイント・バレーボール・コニュニティー)を設立。神奈川県平塚市の青年会議所主催のトークショー出演をきっかけに平塚市や湘南ひらつかビーチクラブの協力で常設コートを立てる。常設コート誕生をきっかけに、当時の日本では年に1回夏のお祭り的な大会でしかなかったビーチバレーを毎週末行う計画を立てる。
7月に記念すべき第1回POINT CUPビーチバレーボールトーナメントを開催、10月まで毎週末行う。
* スタッフは川合俊一・深澤伸一・瀬戸山正二・川合庶・山本知寿 |
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第1回ビーチクラブCUPを開催。(現在も継続中) |
| 1993年 |
大会に参加していた選手たちが賛同しスタッフ数が5名から17名に増える。 |
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第1回マリアナズCUPをサイパンで開催。(現在も継続中) |
| 1994年 |
第1回JOMO CUPを開催。(1999年まで開催) |
| 1995年 |
第1回ゲーターレードCUPを開催。(翌年も開催) |
| 1997年 |
団体名をPVCからPVA(プロフェッショナル バレーボール アソシエイション)に変更。
第1回JOSE CUERVO GOLD CUPを開催。(2000年まで開催) |
| 1998年 |
第1回お台場CUPを開催(2000年まで開催) |
| 1999年 |
第1回サンライフCUPを開催。(現在も継続中) |
| 2001年 |
ビーチバレーの更なる強化と普及を目的に株式会社湘南ベルマーレと提携を結びNPO法人湘南ベルマーレスポーツクラブを設立。
湘南地域の小学生を対象としたバレーボール教室を開催。(現在も継続中)
湘南ベルマーレビーチバレーボールトーナメントを定期的に開催。 |
| 2002年 |
第1回SPEEDO WATCH CUPを開催。(現在も継続中) |
| 2003年 |
第1回ANA CUP、第1回OP CUPを開催。 |