AVP選手との2度目の対戦は,1994年に前回ご紹介したマリアナズCUPのエキシビジョンマッチでLeif・HansonとJim・Nicholsの二人。私のパートナーは孫政郁(松永政郁)選手。
Hanson選手は自分のスポンサーウェアのスポット・スポーツやモッシーモ等のスチールモデルをしていたが見た目は特別格好良かった訳ではない。さわやかというか万人受けするタイプの顔で親しみやすい雰囲気を持っていた。
昔はビーチの選手がバレー雑誌以外の広告に出たり,アンドリュー・スミスのようにニューヨークコレクション等に出演しモデルとして活躍したり,ティム・ホブランドやカーチ・キライにケント・ステフェスその他多数の選手達がTVコマーシャルに出演したり,コートの外でも華やかな選手が多かった。
シンジン・スミス等は映画にも出演したり自分達(弟のアンドリューと二人でスミサーズという名前のショップを開いていた)のビーチバレーショップを持っていたし,ティム・ホブランドとマイク・ドットは二人でマンハッタンビーチにレストランを開いたりと,ビーチバレー以外に副業を持っている選手も多かった。
副業と言えばビーチではいまひとつだったロス五輪金メダリストのスティーブ・ティモンズは,自分の会社でビーチバレーウェアーを作ってリッキー・ルーティーズ等の選手達にウェアーの提供をしていた。
話は少し外れてしまったがこの年のハンソン選手はAVPツアーMiller・Liteミルウォーキーオープンで3位入賞したのが最高順位でパートナーはScoot・Friederichsen。この年の後半ではティム・ホブランドとペアを組んでいた。
そのハンソンと公式戦で試合を行えそうなチャンスが一度だけあった。それは1995年のFIVBワールドツアー・ベルリン大会。ハンソンはChris・Youngとペアを組み13位まで勝ち上がった。しかし,私は高尾和行君とペアを組み予選無しのメインドローから出場したのだが,対戦することなく早々に敗退してしまった。
ニコルスとは1995年のハモサビーチで行われたFIVBワールドツアー・アメリカオープンに互いに出場したが,私は孫選手と組み予選敗退してしまいニコルスはMichael・Schlegelとペアを組み7位入賞と大健闘だった。
このハモサビーチの大会はAVPの選手がFIVBの大会に多く出場した数少ないトーナメントで,私自身いつものワールドツアーとは違った気持ちで大会に臨んでいた。この大会の話はまたの機会にお話します。
ハンソン選手もニコルス選手もディフェンスを得意とするプレーヤーでブロック力のある選手とペアを組むことが多かった。特にニコルスは170前半の身長しかなくプロの世界でプレーするには致命的な身長であるため,チームのプレースタイルは必ずニコルス以外の選手が一人でブロックを行っていた。
この時のエキシビションでは2人ともブロックに飛んでいたがやはりブロックはいただけなかった。しかしフェイクしてからのレシーブは完璧でほとんどボールをはじくこともなく状況によってはダイレクトで返されたりといいように遊ばれていた感じだった。
2試合目は恒例のペアを分け変えての一戦で私も孫選手もブロッカーということもあって,こちらの試合の方が楽しめたとお客さん達にも好評だったようだ。
ビーチバレーではレシーブ・セット・スパイク・ブロック等,オールラウンドに高い技術で何でもこなせる選手が2人いれば言うことは無いのだが,そんな最高な選手が2人そろうことは希なことで,私自身今まで色々なペアを見てきたがオールラウンドに高い技術を2人共兼ね揃えていたチームは1チームしかいないと思っている。
それはもちろんアトランタオリンピックのゴールドメダリストチームのカーチ・キライ&ケント・ステフェスである。
このペアは誰もが認める完璧なチームなのだが,私の個人的な意見としてはこの2人がペアを組むと機械的な感じがして『ビーチバレー』本来の魅力が表現されていない感じがした。また,完璧すぎて個性が感じられないし淡々とビーチバレーをするので観客としては何か物足りない様な気がする。
そんな2人とは全く異なるレシーバーペアとの対戦は本番では経験できない珍しいケースだが、エキシビジョンマッチならではということで楽しませてもらった一戦だった。 |